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『茅が岳 登山 顛末記録』 (1704m) 日時 :2000年 6月 3日天候 :曇り後雨参加部員 :主宰、修繕部長、装備実験隊長 起床 8:15昨晩コンビニにて買っておいた菓子パンにて朝食をすまし、修繕部長の車にて、登山口である深田記念公園に向かう。 昨晩の都内からの移動は、中央高速の夜間工事の為に、小屋に着いたのが、午前0時を過ぎていた、そこから軽く乾杯をして寝るつもりであったが、案の定、度を超してしまい、各部員が布団に入ったのは、2時を回る頃であった。 出発 9:10翌朝、何となく昨晩のアルコールが頭の片隅に残ったままの状態での登山が始まったのである。天候は、曇り。甲斐駒ケ岳はあいにく見えない。ただし、前日に天気予報を車の中から確認していた我々は、早めに行動すれば絶好の登山日和になる事を知っていた。さすが情報技術関連企業に勤務する主宰である。やることに抜かりが無い。携帯電話さえあれば、最新の情報がゲットできる事を知っていた。今回の参加部員は、編集長が、友人の結婚式の披露宴にて阿波踊りを踊るため3人での茅が岳アタックとなった。3人とも、当初の予定の金峰山に比べれば、簡単に登れると思っていた為、完全になめきっており、主宰にいたっては、雨具の用意も忘れるほどであった。何せ、金峰山は、行程が7時間余り、茅が岳は、4時間足らずで往復できてしまう。我々の今までの行動から考えるとこんな風に軽く考えるのも当然か・・・・
深田記念公園着 9:45深田記念公園に着くなり我々は、びっくりしてしまう。なんと観光バスを仕立てた「オオイコマクサ万歩クラブ」の中高年の登山隊約60人に遭遇する。このとき、我々は、今日これから登る山は、ちゃんとした山で「ハイキング」ではなく「登山」だったのだと感心してしまう。 主宰は、深田記念公園にトイレを造る署名運動に「熊八登山隊」と署名する。 登山開始 9:55最初に深田久弥の記念碑のある所へ行き、修繕部長が、ご自慢のデジカメにて、「百の頂きに、百の喜びあり」と掘ってある記念碑の写真を写す。しばし、平坦な道である。主宰、装備実験
鞍部 へろへろになりながら、鞍部に到着する。この少し前から、雷、雨が少しずつ気になり始める。ここで、休憩をしながら、雨合羽を羽織り「進むべきか?退くべきか?」の協議を行う。装備実験隊長は、もっとも消耗が激しく、最低限の荷物だけ持ち他の荷物をデポして、頂上へ向かう事を提案する。主宰が、少し先の状況を調べに行くが、やはり状態が悪く、ここで撤退を決定する。 女岩下山途中に、休憩する。部員皆、雨にぬかるんだ道を滑りながら降りてきたため、どろどろである。往路の行程で通過した際には、例の「オオイコマクサ万歩クラブ」の中高年の登山隊約60人が昼食の休憩をしていたために、すぐに通過する。岩がオーバーハング気味に切り立っていて、雨宿りには最適で、 深田記念公園着 無事到着する。シャツもズボンもドロドロである。東屋は、すでに占領されており、そこでの昼食はあきらめ、駐車場にて、食べることにする。ここでお約束の「山頂ラーメン」ならぬ、 |